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カメラで見える世界がある(寺田寅彦著「カメラをさげて」)

カメラをさげて

どうも、ジョンです!

 

みなさんカメラって持ってますか?GWなのでゴツい一眼を首から下げて、旅行に出かけるって方も多いのではないでしょうか。

僕はカメラといえばiPhoneのカメラのみ。それも風景や人物を撮ることはほとんど無く、メモ代わりに撮るのがほとんどです。昔はゲームボーイのポケットカメラなんかで遊んでいて、写真も嫌いじゃなかったはずなんですけどね!

今回はそんなカメラについて、寺田寅彦が書いている「カメラをさげて」を読みました。

 

 

「カメラをさげて」概要

Amazon内容紹介によると、

カメラをさげて街を歩くようになったことから、カメラの目の特異性や、日本の風景の多種多様さ、郷土的色彩の変化の多いこと、ほかさまざまなことについて綴ったものである。 

 とあります。

 

カメラの歴史には疎い僕は、なにより「この時代に持ち運びできるカメラがあったんだ!」と思いました。どうしても昔を一括りにしてしまうきらいがあって、昔のカメラは坂本龍馬をとったようなカメラを想像してしまっていました。

 

小型の持ち運びできるカメラが登場したのは、まさに寺田寅彦が生きているときで、この随筆が書かれたのは昭和6年=西暦1931年。すでに小型のカメラは割と普及しているけれども、カラーフィルムは登場していない時期のようです。

それは

この目はまず極端な色盲であって現実の世界からあらゆる色彩を奪ってしまう。 

というカメラについて書かれた一文でもわかります。現在のカメラはかなり鮮明にとれるのに、あえてモノクロ加工をするという無駄(?)なことをするに至っていますが、モノクロ時代の人からすれば滑稽に見えるのでしょうか。

 

カメラの役割とは?

もちろん色々と挙げることはできると思います。が、ここではこの文章が重要です。

しかし写真をとろうという気で町を歩いていると、今までは少しも気のつかずにいたいろいろの現象や事実が急に目に立って見えて来る。 

写真を撮るという目的を持っていると、そういうアンテナを張っていると、 普段の生活ではまったく気にもとめなかったことが、不思議と見えるようになるのです。そういう意味で寺田寅彦はカメラを「もう一つの目である」としています。

 

そしてこの目は“われわれの二つの目の網膜には映じていながら心の目には少しも見えなかったものをちゃんとこくめいに見て取って細かに覚えているので”す。

 

なので確かにカメラで色々と撮影し記録することは重要なんですが、同時に、カメラがなければ気付けなかった視点を与えてくれるということに大きな意義があるのです。

 

逆にいえばカメラを持っていても、写真を撮るカメラマンとしての意識がなければ意味をなさないとも言えます。

 

日本人はカメラ好き?

西洋を旅行している間に出会う黄色い顔をした人間が日本人であるかシナ人であるかを判断する一つの簡単な目標は写真機をさげているかいないかであるといった人がある。当否は別としておもしろい話である。

この話の面白いところは、この2017年にあっても同じような話がされていること。日本人旅行者は9割方カメラを持ち歩いてるんだそうです。

 

寺田寅彦は日本の環境の多様性が、日本人を風景を気にかける国民性にし、その結果風景を切り取るカメラが好きなのだと言っています。

その当否は別として、80年以上経った今でも同じことが言われているというのは、日本人はカメラ好きであるということが揺るぎない事実であるという証拠になるのではないでしょうか。

 

前述の通りカメラはもう一つの目。よくカメラでなんでも撮るのは良いか悪いかという議論がありますが、どちらも違う世界が見える以上、どちらが良いということはなく、うまく使うのが良いと言えます。

あまりカメラを使う機会はないのですが、僕もiPhone片手に何か一枚撮ってやろうという気持ちで散歩してみようかな。

 

それでは!

 

カメラをさげて

カメラをさげて