新メディア登場に共通すること(寺田寅彦著「ラジオ雑感」)
どうも、ジョンです!
ネットの台頭で衰退したかに見えた他メディア。しかしネットと相性がすこぶる良いメディアがありました。それがラジオ。かくいう僕もアニラジを始めとして、ラジオを聞く機会が増えました。
日本初のラジオ放送は1925年3月22日9時30分に社団法人東京放送局(JOAK、現・NHK東京ラジオ第1放送)が行ったもの。その言葉は「アーアー、聞こえますか。……JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します」でした。
今回読んだ寺田寅彦の「ラジオ雑感」はそんなラジオの始まりをリアルタイムで生きていた寺田寅彦のラジオに対する雑感が書かれています。
寺田寅彦とラジオ
寺田寅彦はこういった新しいものに飛びつくたちではありませんでした。なのでラジオにもそれほど興味はなく、初めて聞いたラジオに対しても、
ある日偶然上野の精養軒の待合室で初めてJOAKの放送を聞いたが、その拡声器の発する音は実に恐るべき辟易すべきものであった。
として嫌悪感を露わにしています。これはJOAKを嫌ったのではなく、音質に対する苦言でしょう。現在のラジオは非常にクリアに聞き取れますが、放送当初はひどかったようです。
その後ハイドンの曲がかかったときは存外気に入り、家族がラジオを欲しいと言っても反対せず。寺田寅彦の家にもラジオがやってくることになったのです。
メディアの誘惑
ラジオから流れてくる音楽は良く感じたものの、人が喋っているのは音質のこともあってどうにも気に入らなかった様子の寺田寅彦。
それで断念して聞かないつもりになっても、音の出ている限り注意を引かれない訳には行かない。
注意が自然と其方に向かうのを引戻し引戻しするための努力の方が、努めて聞こうとする場合の努力よりもさらに大きいかもしれない。
これは現在のインターネットに至るまでに登場した全てのメディアなどに共通して言えることではないでしょうか。つまりコミットするのも疲れるけれども、それから離れるのはより一層の労力を要するということ。
特にソシャゲとの吸引力はこれに近いものを感じます。まあ寺田寅彦が注意をとられたのはラジオが好きだったからではなく、日本語の話し声がどうしても耳に入ってしまうからだったのですが。
便利になって失うもの
ある日ちょっと聞きたい音楽ラジオ番組があった寺田寅彦。しかし急な来客などで聴けず仕舞に終わります。
もしも、これが、どこかへ演奏会を聴きに行くのだと、来客は断れるし、仕事は繰合せて、そうして定刻前には何度も時計を見るであろう。しかしこれがラジオであるために、こういうことになるのである。つまりあまりに事柄が軽便すぎて事柄の重大さがなくなるのであろう。
あまりにも簡単に、家にいながらにして、演奏や講演が聴けるようになってしまった結果、かえってそれらを楽しめなくなってしまったということ。
同じようなことは外にもある。教育でも機関が不完全で不便な時代に存外真剣な勉強家が多くて、あまりに軽便に勉強の出来る時代にはまた存外その割に怠け者が多いようなものである。
歴史を振り返ってみても、お手軽になってしまうと人間はかえってそれに対する情熱を失ってしまう例は枚挙に暇がありません。人間は希少性に反応するようにできているので、ありふれてしまうとその価値は下がってしまうのです。
では寺田寅彦はラジオ反対派だったのでしょうか?
いつ聞いても心持の悪くないものはこういう古典的な音楽である。からだ中の血液の濁りを洗うような気がする。こういうものが、うちの机の前に坐ったままで聞かれるのはやはりラジオの効用だと思う。
と随筆を締めているように、なかなか体験できないことが手軽にできるという点において評価しています。やはりこれがメディアに害があると言っても、廃れずに普及した理由ではないでしょうか。
人間、便利なものが好きなのです。
活版印刷が出てきたときも、手書きの写本に比べて記憶に残りにくいなどといった反論がありました。しかし現在ではむしろ印刷本が当たり前で、それも電子書籍の波に流されんとしています。なにか失うものがあったとしても、利便性にはかなわない例ではないでしょうか。
さいごに
ラジオはradikoなど、新しい便利なメディアと付き合う方法を模索しています。人間は古いから離れるのではなく、不便だから離れていくという場合が多分にあるのでしょう。オールドメディアと言われるものも、ネットと最適な付き合い方を見つけたときに、また盛り返すのではないでしょうか。
それでは!