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Unread

Unread(未読)を既読に。24歳無職が日々気になったことなどを書いています。

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なぜ、親戚はニートに説教するのか?

ニート

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どうも、ジョンです!

 

 

ニートの敵→親戚

ニートの敵といえば数多くいます。なぜならニートは基本的に社会の敵なので、社会構成員からの攻撃は不可避であるからです。そして社会構成員はほぼ全ての人類を指すので、ニートの敵は数多くいるということになります。

とはいってもダイレクトアタックを仕掛けてくる人は限られています。親戚くらいまでの人がそれに該当しますね。それ以上関係が遠くなると、お互い直接影響しあうことがないので通常、攻撃されることはありません。

で、厄介なのが親戚です。年に1回会うかどうかのつながりなのに、接し方は親兄弟レベルの人が少なくありません。それを打ち解けやすいだとか、気のおけない関係だと賛美するのは勝手ですが、僕からすれば道ですれ違った人が友達面してくるほどの恐怖を感じます。

 

親戚の説教

ニート志望(?)の皆さん、説教は強制発生イベントです。親は直接的な利害関係者ですから、逆に問題ありません。こちらのことをある程度わかっていますし、こちらも様々な事情や考え方を話しても問題ないと思える間柄だからです。

 

しかし親戚は違います。

僕が思うに親戚がやけに説教をしたがる理由は2つあります。

 

1.自分より立場の弱い者に説教し、自分が強い立場にあるというのを顕示するため

2.仕事という事柄について自分がよく理解している(と考えている)ため

 

1について

人間は動物です。当然自分が弱い立場にあることを望ましく思う人はいません。

ネットはよくニートを底辺と呼びますが、底辺を説教することは底辺以外には必ず可能な行為で、自分が強い立場にいるとまず間違いなく確認できます。

「俺はお前のために言ってるんだ」と言われても、スッカスカの説教をされた身としては……ねえ?もしかしたら本当に思いやって言ってくださってる可能性もありますが、仮にそうだとしたらまったく無意味なことをしているという点において、能力の無さが表れていることになるので余計に悲しいです。

 

2について

これは「パーキンソンの凡俗法則」というものです。

法則自体は“組織は些細な物事に対して、不釣り合いなほど重点を置く(wikipediaより)”という主張なのですが、その際のたとえ話が親戚の説教につながります。

凡俗法則は原子力発電所と自転車置き場の例をもって主張されます。

原発の建設は膨大なコストと複雑さから一般人は理解できず基本的には口を挟みません。しかし自転車置き場は自分がよく知っている(と思い込んでいる)ために、屋根の色などといったどうでもいいところで議論が白熱し本質的な議論が行われません。なぜならみんなが自分の意見をもって、自分の存在を誇示したがるからです。

 

親戚の説教に戻しましょう。仕事は社会人ならほとんど全員が行うことですから、理解している(と思い込んでいる)ことです。従って自分の意見をもって、存在を誇示しにかかります。もし僕が抱える問題が仕事じゃなく、もっと高度で複雑な専門的知識を要する(ように見える)問題であったなら、きっと誰もが沈黙したに違いないのです。

 

さいごに

小難しく考えるまでもなく、僕は親戚が言うこともわかるなと思います。

わかりますが僕はこれに対して腹を立てています。僕はこれもわかるのです。

世の中にはこういう説教を頂戴して言われる通りに動く人間がいるのかもしれませんが、そんなんで動くくらいならニートなんてやってないとも思うんですよね。

 

要約すると、僕は親戚が苦手です。

 

では!