【セルゲイ・ディアギレフ】ゲイで芸術プロデューサーの生涯とは?【Doodle】
どうも、ジョンです!
本日2017年3月31日はセルゲイ・ディアギレフの生誕145周年。これを記念してGoogleのロゴがセルゲイ・ディアギレフ仕様に変更されました!
ロゴはこちら↓
この渋いおじさまがセルゲイ・ディアギレフかな……?どういう状況なんでしょう。
セルゲイ・ディアギレフってだれ?
セルゲイ・ディアギレフはロシアの芸術プロデューサーで、美術雑誌「芸術雑誌」の発起人、バレエ・リュスの創設者として知られています。
つまりロゴはバレエダンサーに囲まれたセルゲイ・ディアギレフだったんですね!
セルゲイ・ディアギレフの簡単な略歴
元々、セルゲイ・ディアギレフは大学で学科のメインである法律をそっちのけで、作曲や声楽を学んでいましたが、師匠に作曲の才能がないと言われ、自分が芸術家になるのは断念。
卒業後は義母の遺産を使って、絵画を集め大規模な展覧会を行い皇帝一家を正体するなどしてコネをつくり、その後、パリで展覧会を行った際も大成功を収めフランスの文化・社交界にコネクションを持ちます。
人脈を駆使するタイプだったセルゲイ・ディアギレフは、パリでコネを使い倒しオペラ座で演奏会や歌劇をプロデュース。
その後2度バレエ公演を成功させたセルゲイ・ディアギレフは、常設バレエ団であるバレエ・リュスを結成。多種多様な天才芸術家を駆使し、総合芸術としてのバレエという前人未到のバレエをつくりあげました。
セルゲイ・ディアギレフは1929年8月19日に、持病の糖尿病が悪化して亡くなっています。
同性愛者だったセルゲイ・ディアギレフ
肖像画を見た時「オネエっぽいな……でも芸術家ってそんな風に見える人も多いしな……」と思っていたのですが、セルゲイ・ディアギレフは生涯、同性愛者でした。
わたしが本当に愛したのは、いとこのフィロソーフォフと、ニジンスキーとマシーンだけだ
という言葉も残しているそうで、もちろん全員男です。その中でもフィロソーフォフはかなりの美青年だったらしく、セルゲイ・ディアギレフの同性愛はこの人がきっかけではないかと言われています*1。
どれほどの美青年だったか、ちょっと気になりますよね〜〜〜
セルゲイ・ディアギレフは凄腕芸術プロデューサーだった!
凄腕芸術プロデューサーだったセルゲイ・ディアギレフも、最後は糖尿病で亡くなっていますし、やはり生活習慣病は怖いですね(この着地でいいのか?)
セルゲイ・ディアギレフのより詳しい情報については、以下の本が詳しそうです。
内容紹介は、
本書は20世紀の最重要人物を初めて正当に評価した伝記である。
ロシアに生まれながら気質はコスモポリタンのディアギレフは、
バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を創立して、同時代の芸術すべてに深い刻印を残した。
ストラヴィンスキーに最初のバレエ曲を委嘱したのも、
ドビュッシー、ラヴェル、プロコフィエフにバレエ曲を委嘱したのもディアギレフだ。
ピカソとマティスは彼のために舞台装置と衣装を手がけた。
そしてフォーキン、ニジンスキー、マシン、ニジンスカ、バランシンに、
バレエを根本から変えてしまうような傑作を振り付けさせた。
ゲイであったディアギレフはそのことを隠さず、愛人たちと、まるで夫婦のように生活をともにした。
この天才的興行師は、あるときは情熱的に、あるときは粘り強く活動を続け、
世紀末人でありながらキュビスム革命を歓迎し、
貴族でありながらロシア革命に共感し、同時に、
ロシアからの若い亡命者たちが西欧で芸術家として独り立ちするのを援助した。
著者スヘイエンは、何十年も眠っていた膨大なロシア語資料を発掘し、
それにもとづいて、あらゆる形の美に身を捧げた人として、
そして1929年までロシア魂を失わなかったコスモポリタンとしてのディアギレフを
みごとに描き出した。(リン・ガラフォラ)
となっていて、かなり読み応えがありそうです……!在庫が余りなさそうなので、購入される方はお早めに。