パオロはなぜ生きるのか(パウル・トーマス・マン著「幸福への意志」)
最近幸福関連の本を読んでいるので、やたらとそういう単語が目に入ってきます。自分が当たり前に感じているものを考えることってあまりないので、もしかしたら僕自身が自分のことを不幸だと考えている表れかもしれませんね。
今回の作品はパウル・トーマス・マン著「幸福への意志」です。
トオマス・マン 実吉捷郎訳 幸福への意志(青空文庫)
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あらすじ
病弱な親友パオロは恋愛に強い情熱を持っています。幼いころも、そして大人になっても。ドイツである令嬢と恋に落ちますが、その病弱さから彼女の両親には結婚を断れます。親友にも黙って出立したパオロ。彼とローマで再会したとき、彼のもとに令嬢の父親から手紙がきます。
(下にネタバレがあるので注意してください)
トーマス・マン
著者はあの「ヴェニスに死す」を書いたパウロ・トーマス・マン。「あの」と表現したものの、僕はまだ読めてません。彼は1929年にノーベル文学賞を受賞。日本では三島由紀夫や大江健三郎が彼からの影響を受けているとされています。
って、僕はまだ三島由紀夫も大江健三郎も読めてないんですが。もっと文学的教養を積まないとダメですね。
幸福への意志
ラスト、パオロは婚礼した日の夜に死にます。それを作中では
争闘も抵抗もなく、死ぬよりほかはなかった。彼はもはや生きるための口実を失ってしまったのである。
書かれています。この前に書かれているように、ここでいう口実とはタイトルと同じ「幸福への意志」でした。
彼は人生におけるほとんど唯一の目的を婚礼という形で叶えてしまったがために、死んでしまいました。「いや病気でしょ」と読んでいない場合は思うかもしれません。
この前にパオロは自分がここまで生きながらえてることについて訝しんでいます。
実をいうと、毎日それがふしぎでならないんだ。いったい君は僕のからだがどんな風なんだか、知っているのかい。
(中略)
この何年間、僕はもう何度も何度も、死と直面したことがあると思う。が、死にはしなかった。ーーなにかに支えられてるんだね。
ひるがえって僕自身のことを考えてみます。大きな病気もかかってないし、本当の意味で困窮しているとはとても言えません。しかし「生」を支え「死」をはねのけるほどの強い意志があるのでしょうか。何かのために命を燃やしてしまうような、そんな目的が自分の人生にあるのか。つい考えてしまいます。