気分の浮き沈みが激しい自分に苛立つのでストレス対処法について書いた。
天気のような心理状態
「女心と秋の空」とは女性の心を変わりやすい秋の天候になぞらえたものだ。とはいえ女心でなくても人間の心理状態は天気のように晴れることもあれば嵐の日もある。明日起きた時の心なんてものは実のところその時にならないとわからないものだ。
いま自分は有り体に言えば「うつ」っぽい状態にある。うつ病なの?と問われても専門的な診断を受けてるわけでもなしわからない。うつ病と診断するための項目が複数あって、それに何個以上当てはまるとうつ病という診断がされると聞いたことがある。したがってうつ病でなくてもうつ病の症状があるという状態は誰にでもありえる。
天気は天気図を見て予想する。雨が降る要因があるから雨が降ると言える。おそらく、うつ的傾向にも発症する要因が眠っているのだろう。単純に考えればストレスだ。ストレスと呼ぶのは悪いものだけでなく良いものも同じくストレスである。ストレスがある程度あって、私たちのストレス耐性の限界を超えた時にうつ的症状が発症するのだろう。なぜうつっぽいのかわからないという時は隠れたストレス源が無いか考えてみよう。
対処法
ストレスがあるならなくせばいいじゃない、なんて考えは雨雲があるからミサイルでなくせばいいじゃないという北京オリンピック的発想である(※開会式の日に降る予想の雨雲を降雨ミサイルによって事前に降らせてしまった力技)。ストレスを無くそうと思ったりストレスから目を背けるというのはあまり懸命な方法ではないように思う。ストレスへの対処法は、
①解決に向けて努力する
②受け止め方を工夫する
に尽きると考えられる。
前者ではストレス源がこちらの行動次第で解決に向かう類のものであれば、うじうじしているよりもよほど生産的だ。問題はストレスに対して起こる闘争逃走反応がそれほど深刻でない状況においても起こってしまうことだ。向きあえばどうにかなるものに対して逃げまわるのはあまり意味が無い。この反応の限界値を上げるには運動が効くらしい。ちなみに誤解がないように言うと、問題源に飛び込む必要は必ずしもない。イジメはいじめっ子に立ち向かわなきゃいけないわけじゃない。転校したっていいのだ。まあちょっとこのへんの問題はシビアなのでなんとも言えないが。
後者は考えても仕方ないタイプの悩みなんかに有効だ。将来への不安、過去に対する後悔はそうだろう。少しは努力できる面があっても、突き詰めれば起きてしまったことや起きていないことには何も出来ない。私たちが関われるのは今だけなのだ。もしそういったものにストレスを感じたら「別に死ぬわけじゃない」と言った発想を用いてみよう。あと結構松岡修造がいいこと言ってる。
過去のことを思っちゃダメだよ。 何であんなことしたんだろ…って怒りに変わってくるから。 未来のことも思っちゃダメ。大丈夫かな、あはぁ~ん。 不安になってくるでしょ? ならば、一所懸命、一つの所に命を懸ける! そうだ!今ここを生きていけば、みんなイキイキするぞ!!
(出典:過去のことを思っちゃダメだよ。 何であんなことしたんだろ…って怒りに変わってくる... : 松岡修造の熱すぎる語録 - NAVER まとめ)
最後に
雨が降ったら雨を止ませることはできない。でも人間は雨具を使ってしのぐことができるし、何なら屋根のあるところで雨宿りすればいい。一生雨が降り続けることもない。それに雨は必要なものだから、それに気を病む必要もない。