Unread

Unread(未読)を既読に

多機能端末によって引き起こされる注意力の散漫(921字)

パソコンやスマートフォン、タブレットはそれ一つにあらゆる機能が詰まっている。それらを列挙するだけで途方も無いことになりそうなほどだ。

そうした機能について、大抵の人は「無いよりは有ったほうが良い」と思っている。大は小を兼ねるでは無いが、制限があるよりも自由であることの方が良いと感じるのは当然ではなかろうか。

しかし、我々が現在手にする道具はなんでも出来過ぎるのである。その結果私たちはしなくてもいいことをして、本来すべきことをできなくなっている。

 

例えばパソコンで文章を書いていたとして、SNSをチラチラ見たり、ネットサーフィンをしたり、YouTubeでひたすら動画を漁ったりして時間が過ぎてしまった経験は、割と誰しもにあるはずだ。

いや、別段作業をしているというわけじゃなくても、スマートフォンで様々なアプリを開いては閉じ、開いては閉じしていないだろうか。私たちはこと遊びにおいてもまったく集中できないでいるのである。

 

昔から「ながら」は良くないと言われてきた。現代で「ながら」は極まるに至ったと言える。現代人にとって全てのタスクが並列処理的で、同時進行的である。

とはいえ、人間は同時に物事を処理することができない。一見、それができているように見えても本質的に高速のスイッチタスク(瞬時に作業を切り替えて処理すること)であることがわかっている。これは作業に対する意識が度々途切れ集中できない弊害をもたらす。

 

スイッチタスクの乱用は、日常における思考にも害があると私は考える。考え事をしていても枝葉末節に気を取られ、少しの間も一つのテーマについて考え続けることができなくなる。話をしていても筋に一貫性が無くなり支離滅裂なものとなっていくのだ。

そうなっていくると全てが半端になり、浅くなる。器用貧乏といえるほどの器用さすら無い人間に成り果ててしまうように感じられて仕方がない。

 

こうした多機能端末が登場する以前は、嫌でも集中するしかなかったように思う。集中させられてしまう環境にあった。しかし今は違う。私たちは何も意識しなければ、注意散漫になるように仕組まれている世界にいるのだ。そういった中では、意図的に自らを規制し、集中させてやれねばならないのである。