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武士道から広がる新たな道(新渡戸稲造著「平民道」)

今回の作品は新渡戸稲造著「平民道」です。

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新渡戸稲造 平民道(青空文庫)

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 平民道=デモクラシー

デモクラシーなる字が如何にも流行語になったからこれを説くものも流行を追うものの如く思われ、またこの字を民主主義とか民本主義とか訳するから国体に反くような心配を起すけれども、僕はこれを簡単に平民道と訳してはドーであろうかとの問題を改めて提議したい。

 と著者が主張するように、タイトルの「平民道」はデモクラシーのことを指します。この作品が書かれた背景には「大正デモクラシー」があり、その只中で書かれたデモクラシー論の一つがこの作品なのです。

 

そしてそのデモクラシーは、

僕の見る所ではデモクラシーは国の体でもないまたその形でもない、寧ろ国の品性もしくは国の色合ともいいたい。

 と主張しています。「国の」と表現していますが「国民の」と言い換えてもいいでしょう。その国民の品性をなぜ「平民道」と名付けるのかと言うと、武士道のような階級的道徳を平民に適用するということ、平民の格を引き上げるということを意味するからです。

 

著者にとってデモクラシーとは政治的な話ではなく、まず人格・道徳の話なのです。彼は民衆の中にデモクラシー的な人格が広まって、そこから政治に影響が及ぶとしています。

 

新渡戸稲造の評価

僕からすると新渡戸稲造は五千円の人という印象が強いです。樋口一葉になる前が彼でしたが、同じ五千円札なのに少し高級感を感じます。おそらく幼少期のころに手にした大金ですからそのイメージが続いているのでしょうね。f:id:ddss_msv:20160116235547j:plain

さて肝心の新渡戸稲造のデモクラシー論については、人格主義という観点で評価されてきたそうです。単に政治的な意味での論ではなく倫理的道徳的な論理を展開したからでしょう。一方で新渡戸稲造には愚民観があったという指摘もあります。つまり平民が人格的に平等の精神を持つ必要があると説くことは、逆にいまはその精神を持たない愚民であると考えているとも言えるからですね。

 

今の平民道

現代の我々は財や地位に惑わされずに、相手の人格を尊重するような精神を持っているでしょうか。実際に現代を生きる者としての実感は、むしろ財・地位といったわかりやすい権力に振り回される人がほとんどのように感じます。

今こそ自分たちの精神をかえりみて、「平民道」が必要か否かを考えるのも悪くないですね。

 

 

参考文献

山本慎平「大正期における新渡戸稲造のデモクラシー論」

http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/DBb1130205.pdf