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あえて一歩退いてみる(中原中也著「感情喪失時代」)

2月8日現在、Kindleストアに青空文庫の新刊が追加されました。

今日はその中から中原中也著「感情喪失時代」を読んでみます。

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中原中也 感情喪失時代(青空文庫)

Amazon.co.jp: 感情喪失時代 eBook: 中原 中也: Kindleストア

感情喪失時代ってどんな時代?

現代は、「不安の時代」だと云はれる。

冒頭はこのように始まります。なら感情喪失時代ではなく、不安の時代ではと思われるでしょう。しかしこうなるのには当然理由があります。世間ではその理由があれやこれやと言われていましたが、著者はそれが感情喪失にあると見ていたからです。

感情喪失、といってもまった喜怒哀楽のすべてが消え去った人間というわけではないようで。彼はそれを欣怡の情と表現しています。欣怡とそのまま調べても出てくるのは人名ばかり。前後の文や字義を見る限り「喜び楽しむこと」でしょう。

つまり当時は何かを喜んだり、楽しいと思うことができなくなっていた(と著者は考えていた)ので、不安がはびこるようになったのです。現代でいえば「うつ」が近いんじゃないでしょうか。

 

感情喪失を克服するには? 

著者が言うには

之は神経衰弱や軽微な肋膜の療養に似て、呑気にブラブラすることを要請してゐるのである。

 

つまり一旦、忙しない世の中から一歩退いてぶらぶらすることが、感情喪失を乗り越えるための方法であると語られています。それを簡単だと思う人も考慮されていて、言うほど易しくないとも付け加えられています。

「うつ」まではいかなくても、不安になったり緊張したりしますよね。そんなときは公園なんかを散歩すると回復したりします。彼が言うのはそれのさらに長期スパンであると思われます。

 

2章では著者なのか誰なのか、実際都会から田舎にぶらぶらしに帰った人の視点に切り替わり、手紙の形式に。

こちらでは、何を豊富に感じてゐるとも、それが事件の形を採りませんので、書くことがまるでないやうな有様にもなるのだと、今更思ひ知る次第です。

 自然に囲まれて感じることはあまりにも多いので手紙を書こうとした彼は、それが言葉にできるものではないと改めて思い知ったのでした。

 

一歩退いてから見える景色がある

僕はこの作品に、物事が猛スピードで進む現代を見ました。

いまでは機械の速さに人間が合わせているような感覚、つねにライバルを出し抜き先に先にと急がなければいけないような雰囲気があります。

しかし人間とは、本来そんな風な生き方をするようにはできてません。だから精神的に無理がくる人も自然、増えるんですね。

だからこそ一歩退いてみる。あえてぼんやり、ぶらぶらするというスタンスが何より自分のために求められているのではないかと感じるのです。

 

おわり