人工知能に囲碁で負けちゃったけど、人類終了ではない理由
どうも、ジョンです!
囲碁において人間が人工知能に負けたとのニュースが話題ですね。
でもこういうニュースって似たようなの無かったっけとお思いの方がいらっしゃるかもしれません。
そこで、将棋やチェスが通ってきた道ですが囲碁では何が違うのか、
よく言われる人工知能の反乱はあるのかを、
「人工知能は人間を超えるか」(角川EPUB選書)から引用しつつ見ていきたいと思います。
※本文で単に著者とだけ書いてある場合は、
「人工知能は人間を超えるか」の著者である松尾豊氏を指します。
人工知能が囲碁を指す難しさ
囲碁と似たようなボードゲームで思い浮かぶのが、チェスや将棋です。
これらの中で最も難しいとされるのが囲碁でした。
なぜ難しいのか。
それは組み合わせの数がチェスや将棋よりも多いからに他なりません。
(数値はおよそ)
組み合わせが少なければ全てを検討し最善手を探せばいいのですが、
ここまで膨大になるとそんなことはできません。
人工知能と学習
そこで人工知能(の開発者)はあの手この手で効率を上げてきます。
より良い特徴量*1を設定してあげたり評価システムを変えたり……
今回のアルファ碁では、デミス・ハサビス氏曰く
インターネットから10万の棋譜を入力し、自己対局を3千万回やって学習した
とのこと。
「人工知能は人間を超えるか」のなかでも
囲碁は、将棋よりもさらに盤面の組み合わせが膨大になるので、人工知能が人間に追いつくにはまだしばらく時間がかかりそうだ。人間の思考方法をコンピュータで実現し、人間のプロに勝つには、第5章で出てくるような特徴表現学習の新しい技術が何らかの形で必要だろう。
と述べられているように、
今回の件では特徴表現学習の新しい技術、つまりディープラーニングを活用することで精度を上げてきました。
ディープラーニングで出来るようになったこととは、
今まで人間が「ここに注目しよう」と機械に教えていたことを、
機械が自ら見つけ出すこと。
さらにそれの中から更に注目点を探して、より高次の、
概念と呼ぶべきものを獲得することです。
実際用いられたプログラムがどんなものかは知る術もありませんが、
少し前から話題のディープラーニングをうまいこと使って、
難しいとされていた囲碁ですら勝ってしまったという話でした。
人工知能の反乱はあるのか?
著者は現時点ではありえないと断言します。
なぜなら今話題になっているディープラーニングでは、
あくまで“世界の特徴量を見つけ特徴表現を学習する”ことが起こりつつあるのであって、人工知能が意思を持つなんてことは結びつきようもないほどに技術レベルが遠く離れているからです。
誤解を恐れずに言うと、ディープラーニング程度では意思を持った人工知能は生まれ得ないということですね。
本の中では「人工知能を生命化する方法(ロボット編)」「人工知能を生命化する方法(ウイルス編)」「人工的な生命に知能を持たせる方法」というシナリオを考え、それを否定しています。
でも、シンギュラリティ(技術的特異点)を心配する声はけっこう耳にします。
それすらも著者は否定します。なぜか。
やはり反乱と同じで、そんなことができるようになる技術レベルには、まだまだ全ッ然達していないからです。とはいえ将来必ず無いとは言い切れず、また、社会的な不安があるなら無視すべきでもないと述べています。
さいごに
「人工知能は人間を超えるか」では、ふんわりとしかわかっていない人工知能の今を詳しく解説しています。これを読めば「人工知能に支配されるかも怖い!」というSFチックな話よりも現実的に、例えば「人工知能の技術がGoogleに独占されたらヤバい!」というような方向へシフトしていくことでしょう。
最後に、著者が本の内容ざっくりとまとめているのでそれを引用して終わりたいと思います。詳しく知りたくなった方は手にとって読んでみてくださいね。薄いし面白いのであっさり読めてしまうはずです。
この本でわかるのは、
人工知能の60年に及ぶ研究で、いくつもの難問にぶつかってきたが、それらは「特徴表現の獲得」という問題に集約できること。そして、その問題がディープラーニングという特徴表現学習の方法によって、一部、解かれつつあること。特徴表現学習の研究が進めば、いままでの人工知能の研究成果とあわせて、高い認識能力や予測能力、行動能力、概念獲得能力、言語能力を持つ知能が実現する可能性があること。そのことは、大きな産業的インパクトも与えるであろうこと。知能と生命は別の話であり、人工知能が暴走し人類を脅かすような未来は来ないこと。それより、軍事応用や産業上の独占などのほうが脅威であること。そして、日本には、技術と人材の土台があり、勝てるチャンスがあること。
である。
*1:どこに注目するか