多読は毒?読むべき本は大根?(寺田寅彦著「読書の今昔」)
どうも、ジョンです!
寺田寅彦の随筆が多すぎて、終わりが見えません。もちろん良いことです。
さて今回の随筆は「読書の今昔」。やはり多少なりとも本を読む人間として、読書が題された文章は気になりますね。
「読書の今昔」概要
Amazon内容紹介によると、
現代となっては書籍はひとつの商品であり、日々増えいく書籍の将来はどうなるのか、読書の今昔についての考えを綴った作品である。
書籍=商品?
書籍が商品というのは“それは岐阜提灯や絹ハンケチが商品であると同じような意味において商品であ”って、つまり、別に生きていく上で絶対に必要なものではないものということ。加えてビジネスのために存在するものということです。
寺田寅彦の幼少期では“書物は決して「商品」ではなかった。それは尊い師匠であり、なつかしい恋人であ”り、言うなればもっと特別な存在でした。
しかし現在(寺田寅彦の執筆時)の書籍はコモディティ化が進み競争が激しく、また何が良いものなのかもよくわからないものになっています。
多読は毒?
寺田寅彦は乱読多読でしたが、単なる多読を良しとはしていません。
いずれにしても無批判的な多読が人間の頭を空虚にするのは周知の事実である。
頭をからっぽにする最良法は読書だからである。
だからといって読書が悪いとも言っておらず、自身が影響を受けた書籍も随筆中で列挙しています。寺田寅彦の言いたいのは「少なく読み、多く考えよ」という、寺田寅彦自身がよく覚えている金言そのものではないでしょうか。
何を読むべきか?
大根が食いたくなる時はきっと自分のからだが大根の中のあるヴィタミン・エッキスを要求しているのであろう。
とあるように、読みたい本を読み、読みたくない本を無理して読まなくて良いというのが持論のようです。
さらに頭から尻まで読む必要もなく、色んな本をかじったり、小説を後ろから読んでもなんの問題もないとしていて、読書の自由さを説いています。
なんの本が必要か、「少なく読む」本は何が良いのかは、人によってまったく異なっているため、おすすめやら何やらは意味をなさないということです。
感想
積読が悪のような気がしていて、消化しようと躍起になっていましたが、少し気が楽になりますね。そういえばピースの又吉直樹も、また違った文脈ではありますが、似たようなことを言っていました。
逆に刺さるのが「多く考えよ」のところ。本を読んでなにか自分がえらくなったような心持ちになることがありますが、読んだだけでは何の意味もなく、それを火種にしてよく考えることが必要なんですよね。
とりあえず今、寺田寅彦に興味をもって寺田寅彦ブームが起こっているのは、寺田寅彦にはアリな読み方のようなので、このまま続けていこうと思います!
それでは。