不良少年だったガンジーが説く(マハトマ・ガンジー著「非暴力」)
学生時代の不良が大人になったら好人物になっていて、昔はやんちゃしてたと恥ずかしげに語る。そんな場面はもはや枚挙にいとまがありません。実は意外とそんなパターンの人物だったんだという著者が書いた作品を紹介しましょう。
マハトマ・ガンジー著「非暴力」です。
エム・ケー・ガンヂー 福永渙訳 非暴力(青空文庫)
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不良少年ガンジー
一昔前のアニメタイトルにでもなりそうな文字列ですね。冒頭でも書いたようにガンジーは幼いころから非暴力思想に浸っていた聖人君子ではなかったのです。
Wikipediaが出典で申し訳ないのですが、引用します。
小学校時代は素行も悪く、悪友にそそのかされて、ヒンドゥー教の戒律で禁じられている肉食を繰り返していただけでなく、タバコにも手を出し、タバコ代を工面する為に召し使いの金を盗み取ったこともあった。
その後イギリスの支配からインドの独立を目指し、非暴力不服従で有名なあのガンジーなるのです。ちなみに非暴力の思想もガンジー由来ではなくトルストイの影響が大きいと言われています。
真の非暴力とは何か
はじめに非暴力主義とは無抵抗主義ではありません*1。簡単にいえば非暴力を持って抵抗するのが非暴力主義なので、不服従とあるように屈服はしません。
さらに本書によると
完全な非暴力は、すべての生物に對して全然惡意を有たぬことだ。
ということですから単純に暴力を働かないというだけでもありません。加えて人間にだけ適用されるものでもないのです。
紹介されている事例としてガンジーを議会で糾弾した人を非暴力主義を掲げる人々が排斥したことが書かれています。これは筆者も言うように自分の主義を自分で傷つける行為ですね。
非暴力主義にみる傲慢さ
著者は作品の中で、今の人間は半人半獣であると説きます。そして非暴力主義を完全に貫けるときこそが人間である、と。ここにガンジーの傲慢さがあると僕は思います。
なぜなら人間を他の生物より一つ飛び抜けた特別な存在であるという前提が、そこにはあるからです。ニーチェの超人思想のように今の人間は克服されるべきであるというならまだマシですが。
もちろん非暴力主義は尊いことですし、暴力による解決は本意ではありません。しかしまったくの清廉潔白思想であると信じることも、それはそれで危険なのです。